えっ、そうだったのですか。知りませんでしたよ。
──昔、岡部町に引っ越してきたばかりの頃、ある忘年会に、たまたま手元にあった酒を持って行ったんです。これは手に入りにくいお酒ですって。そうしたら皆から、「初亀の旨さを知らないな!」って、すごいブーイングで、随分と怒られました(笑)。
そんなことがあったのですか。うちとしては嬉しいお話ですけど(笑)。
──ええ。ですから初亀さんというと、地元の人に愛されている、岡部町の自慢の酒という印象がすごく強烈で。
そうですか。酒造会社として、岡部町の方にそう思っていただけるのは嬉しいことですね。地元の人に、「岡部には初亀がある!」と誇りをもってもらえる、自慢してもらえる酒が目標のひとつでしたから。
──目標とおっしゃいましたが、昔はそうではなかった?
ええ、うちの酒に限らずですが、昔は灘や伏見といった上方の大手メーカーの酒が本当に強かった。テレビなどでの宣伝も盛んでしたから、地元町内のお使い物にうちの酒を使ってもらえなかったりして、ずいぶんと悔しい思いもしました。でも、その悔しさをエネルギーに変えることで、頑張ってこられたという面もあります。
──昭和40年代の華々しい受賞歴からすると、そんな時期があったとは、ちょっと信じられないお話ですが。
いえ、もともと静岡は、いわゆる「酒どころ」ではなかったのですね。温暖な気候ですから、酒造りには向かないというイメージがとても強かった。特に昭和40年から50年にかけては厳しい時期で、静岡の酒造会社にとって一大転換期になりました。これからは高品質の酒を造らなければ生き残れないと、皆で品質を上げる競い合いが始まって、技術や方法はもちろん、高精白の米、冷蔵貯蔵庫といった施設の改善ですね。もっとも、こうした流れは今でもずっと続いていますので、終わりがないというか。
──そうした競い合いの始まりが、昭和61年の鑑評会での金賞の大量受賞に結びついたわけですね。杜氏の滝上秀三*さんがこちらの蔵に入られたのもその頃ですか?
*滝上秀三氏:能登杜氏。昭和58年(1983)から平成20年(2008)初亀醸造で杜氏を務める。2010年11月に逝去、享年78歳。筆者は滝上杜氏の初亀での最後の造りを取材させていただいたが、蔵内のピンっと張り詰めた空気が今も心に残っています。
昭和58年からです。先代の社長が、「味があって綺麗な酒」を求める中で、能登流の造りに惚れ込んだようです。それで能登杜氏組合*にお願いして、縁あって滝上さんが来てくれることになりました。杜氏はこちらで指名できませんからね。本当に縁なのですよ。
*能登杜氏:社団法人南部杜氏組合(南部杜氏)、新潟県酒造従業員組合連合会(越後杜氏)、但馬杜氏組合(但馬杜氏)に次いでの規模を誇るのが能登杜氏組合(能登杜氏)。この四つの酒造技術者集団をして四大杜氏と称する。能登杜氏は石川県珠洲市周辺の農家や漁師が、能登衆と呼ばれ冬季の酒造りに従事したのが始まり。流派としては能登流と呼ばれる。現在、静岡県内では富士宮市の牧野酒造のみが、能登杜氏組合からの杜氏や蔵人を招いている。また、能登流の造りとしては、土井酒造場が蔵内で能登流の技術を継承している。
──えっ、指名できないのですか。何となく入札制度なのかなぁ・・・と漠然と思っていました。そうなると本当に縁というか、蔵に入られた時期といい、すごい巡り会わせですね。
ええ、そうなのです。杜氏*には初亀のブランドを支えてもらうわけですからね。それに杜氏の仕事は酒を造る技術だけじゃないのですね、蔵人*たちの統率力も必要です。酒造りはチームワークでやっていく仕事ですから、蔵人たちの監督も大切な仕事になります。一旦始まってしまうと、たとえ風邪をひいたとしても、酒造りは休めません。「酒は造るのではなく、生まれるまで育てるものだ。」が、滝上さんの口癖ですから本当に目が離せないですね。
*杜氏・蔵人:杜氏(とうじ)は日本酒の醸造作業を行う職人である蔵人(くらびと)の指揮、監督者であり、製造品質及び管理における最高責任者。杜氏の下には三役と呼ばれる「頭(かしら)」「麹屋(こうじや)」「酛屋(もとや)」といった中間管理職がおり、激務である杜氏の仕事を助けている。
──今回は静岡酵母についてもお話を伺っていますが、造りに神経を使うそうですね。
確かに麹作りにかなり神経を使いますし、発酵中にも非常に細かい温度調節が必要です。そういった意味では、手が掛かります。ただ、静岡酵母*だから手が掛かるというわけではありませんし、酵母だけでいい酒ができるわけでもないのですね。よい材料は大切ですが、それだけではいい酒は絶対にできません。うちは静岡酵母だけじゃなく、協会酵母*も使っています。全国的に酒のレベルが上がっているわけですから、蔵元ごとにいろいろな造りがあって当たり前なのです。我々としては、そうした取り組みや、「酒は造るのではなく、生まれるまで育てるものだ。」という想いが、お客様にすぐ分かっていただけるような酒として、初亀ブランドを確立していきたいと思っています。
*静岡酵母:静岡県工業技術研究所沼津工業技術支援センターの河村伝兵衛氏が研究・開発した静岡県オリジナルの清酒酵母。酢酸イソアミル優勢で、バナナやメロンのような柔らかな果実香が特徴。静岡酵母を使用した出品酒が、昭和60年前後の全国新種鑑評会で優秀な成績を収めたことから、地方自治体による酵母開発競争に拍車がかかったとされる。
*協会酵母:公益財団法人日本醸造協会で頒布している日本酒、焼酎およびワインの酵母菌。正式表記は「きょうかい酵母」。全国新酒鑑評会で高い評価を得た蔵から、優れた蔵付き酵母を採取し純粋培養、「きょうかい酵母」として全国の酒造会社に頒布している。
──材料のお話が出ましたが、こちらの水とお米は。
水は井戸を50m掘って汲み上げています。南アルプスの伏流水です。酒米は兵庫県東条町
(現・兵庫県加東市)の山田錦*。特A産地です。それと、富山県南砺農協の五百万石*にこだわっています。地元産では協力していただいている農家と連携して、雄山錦*と県品種の誉富士*ですね。
*酒米:正式には酒造好適米、酒造りに適した特徴を備えた米の品種。一般的には粒が大きく、麹菌が繁殖しやすい心白があり、低タンパク質で吸水性の良い米が優れた酒米とされる。山田錦が理想的な酒米とあげられるが、それ以外にも五百万石、雄町、美山錦、雄山錦といった有名酒米がある。静岡県オリジナルの誉富士については、誉富士特集ページを参照ください。
──岡部町の広報誌で、岡部酒米研究会と連携されているという記事を読みましたが。
そうです。地元岡部町や焼津市の農家だけでなく、兵庫の東条町の農家と酒造会社が連携した、「フロンティア東条21」という活動にも参加しています。我々酒造会社にとって、良い米をいかに安定的に確保するかは、本当に切実な問題なのです。ですから農家の皆さんと共生していくという取り組みが、今後ますます重要になってくると思います。
──最後に、もうすぐ静岡空港が開港しますが、海外市場などへの取り組みはいかがですか。
いろいろ考えていますが、アメリカ、ヨーロッパの市場に進出していきたいですね。今年(H19年)4月に、ミラノで開催されたミラノサローネに出展した、「TOKYO Bar」に蔵元として参加しました。ミラノサローネは国際的なデザインの祭典なのですが、日本酒の評判はとてもよかったですよ。この「極吟醸瓢月クラシックボトル(2006年度グッドデザイン賞受賞)」*を持っていったのですが、このデザインも好評でした。今、健康食として日本食が海外でブームじゃないですか。それと同じ意味で、健康飲料として、そして日本的な文化として、日本酒を海外の方にも楽しんでもらえたらと思います。
*陶器製のクラシックボトルは、2021年現在販売されておらず、通常のガラスびんでの販売となります。