他の土地の人に自分の故郷の酒だと、自慢できる酒。
▲上:洗米場から蔵を撮影。中央に見える銀色のタンクは真空式の蒸留機。ちょうど焼酎の蒸留作業の真っ最中だった。下:仕込み蔵内の様子。開放型タンクと密閉式タンクが左右に分かれて並ぶ。
──大変な勇気が必要だったと思います。
当時は酒の知識などまったくなく、おまけにそれまであまり飲まなかった私には全く未知の世界でした。
それで会社を辞めた後、東京農大に入学して醸造の勉強をし、東京国税局で鑑定や分析を実践で学び、酒税の勉強などもさせてもらいました。蔵に入るからには、自分より年長の方をフルに使わなければならないわけですよ。ですから、できるだけ多くの知識を身に付けたかった。そして31歳の時、初めて酒造りに入ったんです。
──万全の準備で臨まれたと思うのですが、最初の酒造りは、やはりかなり緊張されたのではありませんか?
いや、緊張感よりとにかく嬉しかった。ああ、これで実務に触れられる、蔵の役に立てると思いました。緊張感はその後で、じわじわとやってきましたね(笑)。
実際に仕事をしてみると、自分の責任の重さをひしひしと感じました。蔵や道具の使い方から米の見極め、仕込みの配合や手順から何もかもが、先人の知恵や体験から成り立ったものですよね。これは、ひとつの文化として継承していかなければと身が引き締まりました。
──前職との仕事内容に、かなりギャップを感じられたと思うのですが?
それはそうですね。今までは機械や数字を相手に仕事をしてきました。生き物ではありませんから、計算通りの反応を返してくる。酒造りは生き物を育てることから始まる「ものづくり」なんですよ。
精神的にも肉体的にもかなり大変な仕事ですが、手塩に掛けたものの手応えをすぐに感じることができる、お客様の顔が近いのです。皆に期待を持ってもらえる、そして将来までこの喜びを継続していきたいと考えています。それがこの仕事の大きな魅力でもあり、大変なところでもありますね。
──仕事もそうですが、生活環境も大きく変わって。
▲吟醸、大吟醸専用の仕込み室。冷蔵設備はもちろん、壁も全てステンレスで覆われている。写真手前には、貴重な斗瓶囲いの酒が見える。
確かに最初はびっくりしました。えっ、コンビニが町内に1軒しかないの・・・なんて(笑)。それまで暮らしていたところには何でもありましたからね。
でも、私はここ芝川町に来て、生まれて初めて蛍の群舞を見たんですよ。すごく感動しましたね。コンビニがなくても、こんなに豊かな自然には代えられない・・・。安心安全な農作物も食べられるし・・・。だからこの感動を、もっと多くの人にも伝えたいと思ってるんです。
──蔵開きも、そうした機会のひとつだと?
それもあります。また、日本酒に馴染みを持ってる人口が減っているのが現実なんですね。たった一日だけですが、シャトルバスを仕立てて、ご来場いただいた方々をもてなし、お酒はこんなところでこんな風に造っている、こんな楽しみ方があるという、楽しみ方の再提案という意味もあるのです。地元の農家と協力して、地場農作物を売ってもらったりもしています。
こんな山奥までわざわざ1万人もの人たちが来てくれる、ありがたいことだと思います。